老人介護施設

こんにちは。麒麟です。ブログが自然消滅するのもアレなのでこういうどうでもいいことを書きます。とりあえず。

 

さて、自分で言うのもなんですが僕は人生の大切な十年あまりをゲームセンターに浸かって生きてきました。発端は小学生の頃友人に勧められて初めた太鼓の達人だった気がします。14か新筐体1期から初めてホワイト稼働終了までプレイしてたのでおそらく6年弱?くらいプレイしてたっぽいですね。そこから合間にやってたjubeat REFLECBEATにハマって途中ガンストとかいうクソゲーやりつつ100円玉を溶かす日々でした。 そう考えると音ゲー大好きだな僕。

 

そしてCHUNITHMというゲームに出会ってなんかもういろいろ変わってしまいます。

稼働当初触った僕は恐れおののきました。

俗に言う萌え絵のキャラが液晶に描かれていたのですね。当時音ゲーはそういう絵を使ってこないと高をくくっていたのでありえんたまげました。(今考えると弐寺は結構前からエチエチキャラいましたよね。copulaのビジュアルで抜いた。)

んでちょっと進めて課題曲2曲目。

 

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GO!GO!ラブリズム♥

片霧烈火オンザみんマンション

 

????????????????????????ってなりました。

今聴いても高まり散らします。当時中学生の僕は何も間違っていなかったのです。

 

さらにあべにゅうぷろじぇくと霜月はるか・イロドリミドリ・elegante輸入・WHITE ALBUM2コラボ・茶太・六弦アリス.......... 挙げるとキリがありません。

CHUNITHMは魅力的なゲームでした。勉強をする間も惜しみ、推薦を投げ捨て、一層ゲームセンターに通いました。やればやるほど下手になる呪いにかかっていたので腕が全く追いつきませんでしたが。

 

そんな感じで2年強くらいぽこぽこやってました。高校入学してもバイトして100円を突っ込み続けてました。今思えばよく続いてたな~~~と思います。

 

昨年の夏、意地だけで続けていたサウンドボルテックス以外の音楽ゲームをやめました。(好きな曲が入って1.2回プレイしたりしてますが回数で言えば何十分の1くらいには減ってます)

楽しくなかったからです。なぜこんな考えにたどり着いたのかはよくわかりませんが、続けても得がないなと感じてしまいました。

 

1つあったのがレート値の問題です。腕前が可視化されるというのは昔からずっとあったことですが、年を取り、その値の増減に心を乱されまくってしまうようになりました。好きな曲をプレイし続けたり、スコアを詰めるために連奏してレート値が落ちるという現象辞めたいと思ったことは多々あったのですが、音ゲーマーは脳を音ゲーに変えられているのでやめることはできずに延々と100円をドブに捨ててしまいます。

 

2つ目は謎の競合感です。今となってはTwitterにスコア画像を貼るのはマウントか自己満足だと僕は思っています。他人に腕前が追いつかれるのはかなり怖いことだともなんとなく思います。

 

......と長々と言い訳しましたが詰めたくなくて逃げただけです。こういう発想に至ってしまうのはまだ洗脳が解けてないんだと思うんですが。好きな曲をプレイするにもレート値を気にするのは耐えきれなかったっていうもはや老害の戯言って感じですね。

 

今TLを見ると正に楽しんで音ゲーをプレイしている人達が多いですし、プレイしている人を貶めたい訳ではありません。現に十数年プレイし続けた腕前を半年足らずで追いつかれたら凄いという感想しか出てきませんし、羨ましくも思います。個人的には楽しむことが腕前に直結していると勝手に考えています。

 

とはいえ最近音ゲー関連の音源を大量に収集し出しましたし...

ひょっこり再開してもあんだけボロクソ言ってたのにノコノコ帰ってくんなやとか怒らないでください。 こわいので。

 

 

 

おわりだよ〜

 

 

じら